失うは得る

今日は母の誕生日です。もし生きていたら52歳。白髪とか顔のしわとかが気になったりする年なのでしょうか。時々は実家に電話をして、母とあーだこーだたわいもない話をしてたりするのでしょうか。してみたいしてみたい、けど叶うことはない。
振り返ってみると、そんなさみしい思いとかみじめな思いとか感じてきたことはないんだよなあ。そりゃあ死んじゃったすぐは、成績も落ちたし、帯状疱疹になったけど、「継続するさみしさ」は感じたことない気がします。
それはきっと、父も妹も祖母も祖父もいたし、叔母やいとこたちともよく会う機会があったし、友達もたくさんいたし、学校では先生が優しくしてくれたし、バイトでもいい仲間に出会えたし、社会人になってからも上司や同僚にかわいがってもらえるし、素敵な旦那さんと出会えたことなど、まわりの人に恵まれたこと、が一番の理由だと思うのです。これは私の中での超感謝すべきこと。わたしが死ぬことになったら、すべての人にお礼を言ってまわりたいくらい。
わたしも誰かにとってそんな人の一人になれたらいいのです。それがパートナーでも家族でも、友人でも同僚でも、生徒でも。

お母さん、わたしはさみしい毎日を送ってはいないけど、もしお母さんが生きてたら時々子どもみたいな気持ちになる日がなくなるんだなあ。